温順な雌牛が重宝がされた。たいていの農家は玄関を入った右が牛小屋。勝手場から牛の頭が見え、元気かどうかを直接見て確かめた。「まず、牛のことをせなあかんかった。父親には「牛にえさやったか」と言われたものです。その後でやっと人間がご飯を食べる順が来ます。牛は家族、宝のように大事にしたわけです」と会長は言う。農作業に三、四年間使った牛は「野上がり牛」と呼ばれて農作業からは引退。一年間太らせて「太牛」とし、家畜商の連れてくる若牛と交換した。うまく肥育できれば、家畜商からいくらかの金銭を受け取ることもできたという。深野地区では昭和三十年代まで、副業として特産の「深野和紙」の生産が続いていたが、和紙の需要が減ったため、副業を肉牛の肥育へと替えた農家も目立つ。牛が生活に密着していたからこそ、副業の転換がスムーズに進んだという。地区に建つ「松坂牛発祥地」の石碑からは、松坂牛の歴史を支えてきた自負がうかがえる。因みに、ここ最近2次会の景品に松坂牛が主婦の間で好評だそうです。
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